『本気で臨海部の未来を考える会』の活動BLOGです
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行政の矛盾に敢然と立ち向かった男の死 ─川崎南高校
先週の木曜日の朝、「川崎南高を活かそう会」の高橋徹夫代表が天国に行かれました。
あまりにも急でショックな事だったので、そのことを書けずにいたのですが、

南高の卒業生の1人であるまつもと肇さんがブログに書いていただいていました。
それをそのまま、ここで紹介させてください。
http://prosakka.jugem.jp/?eid=1980

行政の矛盾に敢然と立ち向かった男の死 ─川崎南高校_f0140906_2322157.jpg

この男性は、川崎南高校事件に絡み、私と共に原告(債権者)として訴訟を行い、同時に私と共に神奈川県知事から訴えられた被告(債務者)の方で、高橋徹夫さんといいます。

同氏はつい2日前、急逝されました。とても残念に思います。

同氏の息子さん、娘さんは、やはり川崎南高校の卒業生だそうです。

川崎南高校の、座り込み651日のうち、大半の時間を費やされていたそうです。
逆にいえば、座り込みができなかった日というのは、彼の大腸ガンの手術・入院期間であって、病院を抜け出して、座り込み・監視体制をしていたこともある方でした。

なぜ彼はここまで、頑張ったのでしょうか。
たかが学校1つの話です。
再利用できたとしても、県有の土地・建物ですから、彼の所有物にはならないし、どこかから仕事や金が得られるというものではありません。

彼は別に右翼とか左翼とか、運動家と呼ばれる人ではありません。
ただの地元の、自営業のおっちゃんです。

私は川崎南高校の卒業生は、自分も含めて基本的にバカだと思っています。
この学校に通う人は、偏差値そのものが低くて不勉強。
自分のバカさを周囲に知られたくないために、知ったかぶりをする人種です。
だから「なぜまだ使える学校が壊されるのか」と行政に問うても「議会で決まったからですがそれが何か?」と返されると妙に納得してしまう。「当たり前のことをやってますが、何か問題でもあるのか?」と平然と言われ、「納得できないから説明しろ」と言うとバカにされそうなので、大勢の意見に沿って、迎合してしまうのです。

私は在学当時からこんな風潮を感じていました。
当時の教師(特に3年次の担任や校長)は、こういうミスリードをするバカ教師だったし、だいたいこのような印象が強い川崎南高校を母校だなんて思いたくありませんでした。

誰も知らない無名校だけど、私にとってはこの「川崎南高校」というのが、とても嫌な学歴だったのです。

しかし、川崎南高校の廃校後のショッピングセンター誘致の問題が噴出して、その一件を調べてみると、いろんなことがわかりました。この川崎南高校は、30余年前に百校計画を進めた長洲知事や、地元の善意によって建てられた、地元の子どものための、地元の中等教育を支える、貴重な学校だったのです。

国が繁栄するためには教育が必要です。しかし、当時はベビーブーム世代が学齢期を迎え、教育を必要とする人口に比べると、全ての学校施設が圧倒的に少ない。そこで、県内の高校を増やすことになりました。
そして川崎区の工場地帯に川崎南高校が設立されることになりますが、当初、地元住民は反対運動を起こします。しかし、地元の子どもたちのための教育施設が必要だということで住民は納得し、地元のために多額の税金が投入され、その投入された税金によって学校が建設され、しかも学校としての用途を終えたら公共施設になることが約束されたのです。地元の住民のためになる施設だからこそ、住民は自ら数千万円規模の寄付を募り、
その集まった金で植樹が行われ、緑化が推進されました。

私は母校である川崎南高校が、地元のこうした善意によって充実化が図られたなんてことを、3年前に初めて知ったのです。

高橋徹夫さんは、地元の若者が教育を受けるための、地元の学校を支えていた、地域住民のひとりだったのです。

学校建物の保存運動が大きくなった一方で、彼の行動は、無関係なはずの私と共に「解体工事を妨害してはならぬ」と裁判所に制限されました。

裁判所が神奈川県側の仮処分を全面的に認めた「解体工事の妨害は禁止」という命令は、裁判所が判断しているのだから、これで解体工事を妨害しようものなら、違法行為として認定されてしまいます。
しかし、よく考えてみれば、もっと重大な違法がたくさんありました。

解体工事そのものが嘘の証拠と稚拙な説明によって県議会を通過したこと。
解体工事そのもので大量の飛散性アスベストが曝露されてしまうこと。
解体工事で守られるべき、建設業関連の各種法律が無視されて行われたこと。

これらについて、神奈川県の財産管理課、住宅営繕事務所、建設業課は放置しました。
神奈川県警察も、神奈川県労働基準監督事務所も見て見ぬふりをしました。

高橋徹夫さんは、この対応に憤りを感じていて、幾度となく繰り返される違法な解体工事に対して行った110番通報回数は記録的なものとなったそうです。

彼はガンコジジイでしょうか。

はい、ガンコジジイです。これだけ頑なに主張を曲げない人も珍しいです。

彼はバカなのでしょうか。

はい、バカです。あの神奈川県に、今どき敢然と立ち向かうなんて、変人かバカか、またはその両方でしょう。

彼は間違ってましたか。

いいえ、彼の行動は全て正しかったです。
彼は、裁判所的には違法なことをしたかもしれません。しかし、地域住民として、放置国家の国民として、他人に迷惑をかけてはならぬという道徳を持った人間として、努めて真っ当に正義を貫きました。

私は彼が「ダメなものはダメ」、「住民のものは住民のもの」、ふざけた行政には「バカヤロウ!」と正面切って言える、極めて真っ当な男だったと思います。こんな根性の男は、そうそういません。

彼と最後に会ったのは、1月29日。ほんの1分くらいでした。もともと運動とは関係の無い私が、彼とゆっくり話すなんてことはできなかったけど、もっと話しておけば良かったと後悔しています。

高橋徹夫さんの意思をついで、川崎南高校問題は、絶対に忘れ去られてはいけない川崎の歴史のひとつとして、風化させてはいけない問題だと思います。
特に、耐震構造も十分な学校を、嘘の情報によって解体させたこと、大量のアスベストを飛散させたこと、取り締まるべき役所が放置したことは、絶対に風化させてはいけません。

高橋徹夫さんのご冥福をお祈り申し上げます。
行政の矛盾に敢然と立ち向かった男の死 ─川崎南高校_f0140906_232242100.jpg

by rinkaibu-mirai | 2010-02-23 23:26
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